ダウ理論を提唱したチャールズ・ダウってどんな人!?

チャールズ・ダウ 記事

チャールズ・ダウってどんな人!?

overview

皆さまも耳にタコが出来るくらい聞いたであろう「ダウ理論」。このダウ理論を提唱した人こそがチャールズ・ダウさん。そんなチャールズ・ダウさんですが、そもそもどんな人だったのか!?掘り下げて調べた事はあるでしょうか。120年前に亡くなっている方ですが、未だに彼の言葉が世に定着をしているのは正直すごい事だと思いますし、ダウさんが作った経済紙が今も尚「ウォールストリート・ジャーナル」として継承されているのも凄い話。そんなチャールズ・ダウさんがどんな生き方をした人なのかを簡単にまとめてみました。興味のある方は是非ご覧になって下さい^^

目次

プロフィール

  • 生年月日:1851年11月6日
  • 没日:1902年12月4日
  • 出生地:コネチカット州スターリング
  • 職業:ジャーナリスト・アナリスト


出典:Wikipedia

▲目次に戻る

略歴

チャールズ・ヘンリー・ダウ(Charles Henry Dow, 1851年11月6日 ~ 1902年12月4日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト・証券アナリスト。コネチカット州スターリング生まれ。ハイスクールを中退後、新聞記者になる。主にニューヨーク証券取引所での相場に関する記事を執筆し、その取材の経験から「株価は全ての事象を織り込む」というダウ理論を提唱。テクニカル分析の先駆者の一人となる。1882年にはエドワード・ジョーンズ(英語版)やチャールズ・バーグストレッサー(英語版)と共にダウ・ジョーンズを設立、当初は手書きの経済ニューズレターをウォール街の経済関係者に配布し始める。このニューズレターがやがて発展し1889年7月に『ウォールストリート・ジャーナル』となる。

参照元:Wikipedia

歩み

チャールズ・ダウさんがどのように投資の世界・ビジネスの世界に入っていったかをまとめてみました。

1851年11月6日、コネチカット州で誕生。6歳の頃に農家を営んでいたお父さんが死去。母子家庭で育ったと言う事もあり、教育はあまり受けていなかったみたい。21歳になったチャールズ・ダウさんはレポーターの仕事を見つけたそう。恐らく現在の新聞記者・ライターのような仕事だったんじゃないかと思います。雇い主の「サミュエル・ボウルズ」は素人だったダウに記事の書き方など一から叩き込んだみたい。

その後、別の会社で2年間の編集者として働き、1877年にロードアイランド州プロビデンスの日刊紙でもある「プロビデンスジャーナル」の一員に加わっています。このプロビデンスジャーナルに3年間勤務をした後、上司からビジネスストーリーを書く仕事を与えられビジネスの世界に入ったと言う事です。

プロビデンスジャーナルのビジネスストーリーを任せる事になったダウはさまざまな大物、議員、地質学者、投資家などと知り合いお金の世界のことを多く学んで行く事になります。成功をした金融業者にインタビューや取材をしたり。取材をしたダウの記事の引用などが正確だった事を受け、ビジネスマン・投資家達にめっちゃめちゃ信頼される記者に成り上がり、この頃から金融やビジネスにどっぷりと浸かって行ったみたい

ウォール街に進出

1880年、当時29歳だったダウはお世話になったプロビデンスジャーナルを離れ、金融の本場ニューヨークに移り住んだそう。ここで働き始めたのが「キルナン ウォールストリート金融ニュース局」。この局で銀行や証券会社に手書きの金融ニュースを配っていたみたい。現在もあるような偏見報道が当時もあったそうで、例えば株価を押し上げる為の企業に好意的な報道など。この行為には賄賂も付きまとっていたみたい。「そんなの本当のニュースじゃねーし」と言う正義感溢れるダウは、株式市場を操作するような記事は一切書かなかったんだとか。そりゃ信頼される新聞になりますよね^^

1884年、社説のようなところで「ダウ平均」を作成。当初は9社の鉄道会社、2社の非鉄道会社、太平洋郵便会社とウェスタンユニオンテレグラフの11社で構成されていたもよう。

1889年頃にダウとエドワード・デイビス・ジョーンズさんが一緒にウォールストリート・ジャーナルを立ち上げ。その社説で投資に関する事をずらずらと書いていたそうで、ダウの死後、その社説を繋ぎあわせて出来たのがダウ理論と言われるものだそうです。

不況

1890年頃のアメリカ経済がどんなだったかはわかりませんが、「ダウは不況が終わりつつある事を認識しました」とあるので、当時は不況だったのかも。当時はショートエントリーなどなかった時代。仮に好景気だったとするならば「平均は相互に確認されなければならない」「トレンドは出来高でも確認されなければならない」「トレンドは転換の明白なシグナルが出るまで継続する」とこんな事を提唱するでしょうか!?ロングエントリーしか出来ない時代のダウントレンド中だとするならば合点がいきます。

と言うより、内容は全然違えど僕が負けていた頃にノートに書いていた事みたいだと思いました。負けてる頃のノートを見てみましたが「トレンドフォローが一番効率の良い勝ち方だ」とか書いてました(草)その超絶レベルが高いのがダウ理論のような気がしてなりません。仮に本当に不況で、負けている投資家の背中を見て、もしくは自身の投資の失敗を今後につづった記録の一つが「トレンドは出来高でも確認されなければならない」だったら!?トレンドが出来ても出来高で確認されていない時に買い注文を出したとするならば!?………やっぱり合点が行くんですよね。本当に不況の時代を生きた人だったのかも。

まとめ

チャールズ・ダウさんを簡単にまとめてみると、学歴がない彼が新聞社の記者になり、続いて有名な新聞社で記事を書くようになり、おまけにビジネス記事も書くように。ウォール街に進出をして偏見報道を一切しない真実だけを書く記者になり、おまけに相場マニアにもなり。ウォールストリート・ジャーナルを共同経営と言う形で立ち上げウォール街で大バズリ。フォロワーも増えバズり続ける新聞で相場マニアの自分の意見をアウトプットして有名になった人。のような気がしてなりません。

チャラい書き方をしましたが、これをインターネットも携帯電話もない時代の1890年頃にやっていたって言うから凄いですよね。しかも、ここまで長い年月に渡り提唱され続けると言うことは、その手のパイオニアだったんでしょう。二番煎じだったら、ここまでダウさんの名前は浸透していないような気もしますし。なんか僕の推測もちょいちょい入っちゃいましたが、凄い人って事はわかりました。と言う事で今回の記事は終わりです。

記事終わり

当記事をご覧頂きましてありがとうございます。色んな投資の有名人や理論・法則など今後も紹介出来たらなと思っています。情報共有のような形でご覧になって頂けたら幸いです。今後とも当サイトをよろしくお願い致します。

他の記事へ